高校時代は雑誌の一面を飾り、プロ野球へ進む選手は多くいると思います。
また、大学からきてほしいと言われ自信満々で大学野球の道へ進む選手もいると思います。
ただ、今回紹介する選手は高校時代は無名で大学からきてほしいと言われたわけではなく、試験を受けて自らの努力で夢をつかみ大活躍した選手たちを紹介したいと思います。
私も高校時代、全然活躍することが全くできませんでした。
しかし、これから紹介する選手達に励まされ、大学で活躍してプロ野球選手になってやろうという思いで、進学しました。
野球小僧は結果、努力や才能が足りなくてプロ野球選手にはなれませんでしたが、後悔はありません。挑戦できたことに感謝しています。
そこで今回は大学で才能が開花して、プロの世界で活躍した選手を3名紹介したいと思います。
・上原浩治投手(巨人)
・黒田博樹投手(広島)
・福山博之(楽天)
・又吉克樹投手(中日)
目次
大学で才能が開花!あきらめるのはまだ早い
「雑草魂」読売巨人軍 上原浩治投手

(Wikipediaより引用)
経歴
東海大学付属仰星高等学校→大阪体育大学→1998年巨人(ドラフト1位)
上原浩治選手はみなさんご存知だと思います。巨人のエースとなり、メジャーリーグにわたり、そして巨人へ戻ってきたスーパースターです。
高校時代(永遠の2番手)
上原選手は東海大学付属仰星高等学校進学しました。この高校は大阪の激戦区で2回甲子園に出場している強豪です。
中学時代陸上部に所属していたこともあり、高校時代最初は外野として活動していたそうです。また打撃練習では打撃投手を務めることもしていたそうです。
投手に専念したのは高校3年生のときです。
ただ、同期には建山義紀(1998年 日ハムドラフト2位)がいたため、公式戦での登板はほとんどなく高校野球を終えています。
大学野球(浪人で才能が開花)
その後浪人をして一般試験で大阪体育大学へ入学しました。
浪人生の時に勉強とトレーニングを行った結果、MAX146キロまで伸びたと言われています。
その後大学野球でエースまで上り詰め、日本代表などを経験した後巨人からドラフト1位の指名を受け晴れてプロ野球選手になりました。
36勝4敗(最優秀投手4回受賞、特別賞2回を獲得)
プロ野球での成績
・134勝93敗128セーブ
NPB11年・MLB9年の合計20年プロの世界で活躍しています。
上原選手の場合は、強豪高校の控え投手ということもあり、正直それなりの能力はあったと思います。
ただ、上原選手は高校時代であきらめることなく野球を続けたから道が開かれたのではないかと思います。
今では知らない人がいないぐらいすごい選手になっていますが、こういう苦労人は非常に好感がもてて応援したくなります。
ちなみにもっと上原投手を知りたい方はこちらを読んでみてください。
「男気」広島東洋カープ 黒田弘樹投手

(Wikipediaより引用)
上宮高校→専修大学→広島カープ(ドラフト2位)→メジャーリーグ→広島カープ
黒田選手も誰もが知っているスーパースターです。メジャーリーグの20億円の契約を断り、広島の4億円の契約をした話も非常に有名な話だと思います。
高校時代(3番手)
黒田選手は上宮高進学しました。この高校は大阪の激戦区で9回甲子園に出場している強豪です。
2年生の春に背番号をもらえる位置までいましたが、結局エースになることができずに高校生活を終えました。
結果として、1学年上のエースは薮田安彦(ロッテ(ドラフト2位)→メジャー)、同期のエースは西浦克拓(プロでは野手)で外野には筒井壮(中日→阪神タイガース)など凄い選手に囲まれていました。
もちろん試合にもでていなかったので、大学からの推薦もほとんどなかったそうです。
ただ専修大学のセレクションを受け、専修大学の監督の目に留まり大学進学を決意したそうです。
大学野球(浪人で才能が開花)
その後1部で6勝をあげるなど高校時代とは違い活躍しました。
成績的には4年になるまで2部リーグだったので、圧倒的な成績は残していませんが、150キロを記録し注目を浴びました。
プロ野球での成績
・203勝184敗1セーブ
7NPB13年・MLB9年の合計20年プロの世界で活躍しました
黒田投手も上原投手同様に、やはり強豪高校で他にもすごい選手の中でピークが高校にならなかったことが原因だと私は思います。
黒田選手も上原選手も185cm前後あり、体格にも恵まれていることも大学で大きく成長した要因だと思います!
もっと黒田博樹投手を知りたい方はこちらを読んでみてくださいね。
「東北のサブ」楽天ゴールデンイーグルス 福山博之投手

(Wikipediaより引用)
大東高校(島根)→大阪商業大学→横浜DeNA(ドラフト6位)→東北楽天
福山選手は以外に知らない人もいると思います。ニックネームはサブちゃんです。たしかに見たら似てますよ!
高校時代(セカンド)
高校時代は島根県の大東高校の硬式野球部に所属し、セカンドとして活躍しました。
上原選手や黒田選手とは違い高校時代は野手でレギュラーとして出ていました。ただ内野手でのレギュラーですけどね。
大学野球(未経験から才能が開花)
大学は一般入試で大阪商業大学に進学しました。そこで、本人は大学では投手と野手で迷った結果、希望して投手へ転向しました。
転向直後はストレートでの最速記録が128km/hどまりであったが、大学近くの公園で偶然知り合った金城龍彦の叔父からの指導で球速を伸ばした。(Wikipediaより)
どこで野球選手として成長できるか、正直わかりませんよね。
プロ野球での成績
・通算8年328試合17勝13敗108HP
最初はプロ野球生活はあまくなく、DeNA時代はほとんど一軍登板もなく2年で戦力外通告を受けました。
福山選手は足も速くDeNAからは内野手で再契約をもちかけられてが断り、楽天へ。
その後楽天の中継ぎ投手として大活躍をしています。
身長も172cmとプロ野球界ではかなり低い部類に入り、大学で開花したまれな選手だと私は思います。
この福山選手を見ていると、誰もがチャンスがあるのではないかと感じてしまう経歴だと思います。
高校時代は無名の高校のセカンドから、一般入学で大学へ進学し、野球部では内野手から投手へ転向しプロの世界へ。
そして一度は戦力外になり、2018年は1億円以上稼ぐ一流選手になっています。
よく、身長が低いから、環境が悪いから、能力がないから無理と決め付ける選手は多くいると思います。
しかし、「本当にそうなのかな?」と思わせてくれるのが福山選手ではないでしょうか。
身長が低くてもプロでは活躍できか検証している記事もあるのでどうぞ↓
「変幻自在のサイドスロー」中日ドラゴンズ 又吉克樹投手

(Wikipediaより引用)
西原高校→環太平洋大学→香川オリーブガイナーズ→中日ドラゴンズ(ドラフト2位)
高校時代(セカンド)
西原高校時代は主に内野手としてプレーをしていました。
ただレギュラーではなく、控えのセカンドとして高校生活を終わっています。
強豪高校でもなく毎年1回戦2回戦負けのチームです。
大学野球(徐々に才能が開花)
大学は一般入試で環太平洋大学へ入学しました。
大学では投手へ挑戦すると、着実に力をつけてチームのエースとして通算13勝18敗の成績をあげました。
最高速度も138キロを記録するなど、徐々に現在の片鱗をみせていました。しかし、ドラフトに掛かるほどの選手ではなく、独立リーグに進みました。
独立リーグ(一気に才能が開花)
独立リーグでは1年目から頭角を現して、MAXは148キロを記録し13勝4敗と輝かしい成績を残し、プロの世界へ進みました。
プロ野球での成績
・通算5年282試合31勝21敗128HP
プロの世界では、中継ぎとして頭角を現し活躍しています。2018年には8800万円も稼いでいます。
夢がありますよね!
又吉選手も、福山選手のように内野手から投手へ転向し成功した選手です。なので、高校時代全く無名でも、何かのきっかけで化ける選手もまれにいることがわかります。
まとめ
・上原浩治投手(巨人)
・黒田博樹投手(広島)
・福山博之(楽天)
・又吉克樹投手(中日)
大学野球で花が咲いた選手は他にも沢山います。
この4選手だけではなく、もっといろんな野球人生からプロへの道を切り開いた選手を、調べてみてください。いろんな価値観や参考になると思います。
私はいろんな野球人生を今までに見てきました。
そんな中で思ったのは、どんな選手もあきらめなければ道は開けるということでした。もちろん努力をしなくてはいけません。
いろんな事情で野球をあきらめなくてはいけないこともあると思いますが、才能や環境を理由にあきらめるのは残念な気がします。
今回紹介した選手のようにあきらめず、努力した結果成功したごく一部の選手だと思います。
しかし、今補欠で悩んでいる選手は、いつか必ず花開くと思って野球をしてほしいと思います。